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楽知会・・・石光宗眞表千家茶道・茶事教室 (つくば教室・水戸教室)

つくば と 水戸 で表千家のお茶の教室を運営する 楽知会(主宰  石光宗眞)のブログです。 初心者にも、上級者にもご満足いただける本格的な茶道教室を目指しています。 楽知会が取り組む お茶のお稽古や、お茶事関係の情報を掲載していきます。

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With コロナのお茶のお稽古

三密を避けよ

 「三密を避けよ」と言われると、俄然どうしたらよいのか分からなくなってしまうのがお茶のお稽古。  「常の稽古は茶事をするための割り稽古」といわれていますので、 通常の稽古で何をしているか ご理解いただくために 先ずは「茶事とは何か」をご説明いたしましょう。

茶事とは 
同席する人々と飲んだり(お酒もお茶も)食べたり(懐石料理もお菓子も)しながら二時(フタトキと読んで4時間のこと)を過ごし、そこに集った人々が互いに心を通わせ、メリハリの利いた時を共有しながら非日常を体験して、心のリフレッシュを図ろうとする寄り合いのことです。  その寄り合いに集う客は、三畳ぐらいの狭い茶室で2~3人、八畳ですと5人~10人くらいが平均的なところで、 そこに亭主や半東など主催者側のスタッフ数名がプラスされます。 

「ウッ?・・・それって クラスターを発生させている 新宿の夜の街と状況似てるジャン」と思った人いますよね。   

茶事の敷居をグ~~~ンと高くしているものがあるとすれば、礼を尽くしてバカ騒ぎせず、会話の中身は清談、飲み食いの間に美術品の鑑賞や美の探究が好まれる点でしょうか。  

一方、夜の街と似ているところは、主客(英訳したらhostguest)が心を通わせ、非日常を体験しながら心のリフレッシュを図ろうとする部分です。  

茶事で最も儀式性が高くて重要と位置づけられている 濃茶の飲み回しだって、抹茶茶碗をシャンパングラスに持ち替えたらどうなります???  濃茶だってシャンパンだって、飲み回しの原点は日本文化の盃事に行きついて、食文化からの派生に他なりません。

茶事をここまで平たく説明してしまうと、目くじら立ててお怒りになる お堅いお茶の先生が沢山いらっしゃるとは存じますが・・・・・見事な三密状態であることは否定できません

三密を避けると生じる弊害
コロナ以前は、相客全員が一碗のお茶を飲み回すことで、同席する人たちの一体感を象徴的に表してきました。  したがってお茶を嗜む者なら、飲み回しのマナーは当然知っておくべき重要な作法で、常の稽古でもかなりのウェイトを割いて体験していただいています。  しかし、今は各服点て、あるいは自服が推奨され、ありとあらゆる接触を回避する傾向にあります。  薄茶で一つの茶碗を複数人で使い回すのも嫌がられますものね。   さらに密集と密接を防ぐために茶室に入る人数も極力少なく制限しています。 

こうした変化が目に見える弊害となって表れているのは、相客への礼を尽くした気配りも 清談も 美の探究をする機会も、 その全てが 極端に減ってしまったことでしょう。  何故なら、稽古中の人と人とのかかわりは  亭主個人 対 客個人 に限定される傾向があり、相客の存在が意識の外に追い遣られてしまったからです

媒体となる一碗のお茶の存在が席中の和を構築するために かくも重要な役割を果たしていたとは「接触を避けよ」と言われるまで気付きませんでした。


お茶の稽古ってこれかいな????

利休七則(利休七箇条とも)
 

 

 
利休さんは茶の心得を七箇条にまとめて茶人に説いています

 

 茶は服のよきように

(お客様には美味しいお茶を)

 炭は湯の沸くように

(お茶の味を決するお湯を沸かすために炭の管理を怠りなく)

 花は野にあるように

(例え一輪の花でも自然を想起させるように)

 夏は涼しく冬暖かく

(お客様の五感に働きかけて四季折々快適に過ごしていただく工夫を)

 刻限は早めに

(心のゆとりを生むためには時間の余裕が肝要)

 降らずとも傘の用意

(不慮の事態に対する備えを忘れずに)

  相客に心せよ

(客同士、互いに心を通わせ気配りしながら時間の共有を)

 

最初の六則は客の人数に係わりなく常に心がけていることですから 殊更に言及しないことにして、最後の一則を withコロナの稽古の中でどう形にしていけばよいのか・・・難しいところです。

 

飲まない相客の存在にも心せよ
稽古で 正客一人分しかお茶を点てないと「飲まないから無きものと思って一人でやってください。 私たち見学するだけですから。」と同席する他の人たちから ほぼ確実に声がかかります。  コロナ以前はこれを黙認してきましたが、今後も続けると 相客への配慮は正客からも 連客からも 完全に消えてしまいます。
飲むか飲まないかに係わらず、相客への礼をどのような言葉と態度で示していけば席中に和(harmony)が生じるのか・・・それを Withコロナのお茶の稽古 の中心に据えて、皆様とともに考えていきたいと思っています。

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自粛 ときどき お茶

点前を終えて水屋に戻ってきた 茶杓の画像です。   同じ茶杓でありながら、2枚の画像を見比べていただくと 一方には 樋 (窪み) に お茶が残っているのが分かります。
 
      
    
亭主は 点前を始める前に 水屋で 十分に清めた道具を茶室に持ち出しています。   そして 皆さま よくご存じのとおり、 お茶を点てたり  お客様に道具を お目にかけたりする時には  それを更に お客様の面前で清めています。  

初心者が 点前を学ぶとき 「何故 その動作をするのか」は あまり考えず、  順番を覚えることに集中しがちです。  それが高じると   順番を 間違えずに 一服点てることが出来ると、大きな喜びと 達成感を覚えるようになります。   間違えないことが 最大の目的 になってしまうんですね。   でも これは自己満足にすぎず、 点前の あるべき姿からは  大きく外れています。
 
表千家の点前は 無駄を 徹底的に省くところに特徴があります。    すなわち、いかなる点前の型にも 単なる パフォーマンスは 存在しません。  道具を清める時には「 お客様に 汚れのない 道具をお目にかけたい」など、 何らかの意図があって清めているので、 樋にお茶が 青々と残るような拭き方をしたとするならば、それは単なる「無駄な動き」「不必要な動作」ということになってしまいます。    

画像に残した 茶杓は  同じ日の稽古で用い、点前の最中に 何度か帛紗で清めた物です。      この結果の差は どこから 生じたのでしょう。      点前をした人の 技術の差でしょうか?  
   
いいえ。   意識の差です。  
「清める」 という 動作に対する 意識の差が  技術の差となっています。   


茶杓の 基本的な清め方は、平を拭いて、脇を拭いて、もう一度 平を拭く という三度拭きです。  でも「ただ三回茶杓を撫でればよい」 というほど 単純ではなく、樋の深さによって 帛紗を持つ手の指の角度を変えています。  それでも清め切れなかったら、 どうぞもう一度 拭き直してください。  
大切なのは、込めた心を  いかに 茶杓にのせて表現するか  ということです。   


ここまで言うと  絶対に聞こえてくる 言い訳の声。
「近頃 目が見えなくて・・・   遠くの物ならよく見えるんだけど・・・」 

違うのよemoji
    
例え稽古であっても  道具は 点前が 始まってから 初めて 見るのでは なく、 水屋で 準備をする段階で よくよく 観察し その特徴を捉えておきます。      茶碗や 棗だったら 「正面はどこか」  とか、  茶杓だったら「 腰の 反り具合や 樋の深さはどうなっているのか」「茶入れや 茶碗に乗せたときの相性はどうなのか」など。   
そして 点前を始めたら その特徴に合わせた 道具の扱いを心がけるようにお願いします。

春ですね

コロナ騒ぎで  世の中は停滞していても 、 季節は着実に巡り 自然界は 生命力に富んだ春の息吹を届けてくれます。

3月は 感染リスクを回避すべく、 お稽古をお休みにしていますが、 巣篭りは いつまで続けるべきや。

茨城県でも 大阪府なみに、 感染者を 症状に応じて 振り分けて 見守る態勢ができればよいのですが・・・医療には地域差があるらしく、 果たして それができるかどうかが問題です。  

ワクチンができるまでには 時間が 少々かかるようですが、 新型コロナウィルスの 簡易検査キットができて、 重症化を抑える薬が 世の中に十分にでまわれば、そんな茨城県でも 気持ちが 少し楽になります・・・「世界で力をあわせて 一日も早く 良い結果をだして 」っていう感じ。


 濃茶の飲み回しをしたり  茶道具を 手に取って 感触を楽しむなど、 お茶の愛好家なら 是非 やってみたいことに 感染リスクが ありますね。

 東日本大震災のときには 「こんな時だからこそ  一服のお茶を大切にしたい」 と 被災した方々のために 点茶を続けた人がいます。

 
今回は 「こんな時だからこそ もう少し 我慢・・・」 かな


啓翁桜  :  手毬草  :  菜の花

2020 初釜



お茶の家は、初釜を迎えないと年が改まった気がしません
昨日の初釜をもって 本当に2020年がやって来ました
 
軸は 即中斎のお筆で " 彩鳳舞丹霄 " 

この軸から  朝焼けや夕焼けで 朱く染まった空に 五色の羽毛をもつ 番の鳳凰が 悠然と舞っている姿をご想像いただけましたでしょうか?    

伝説によれば、 鳳凰は 聖なる王が誕生する時に現れ、この上ない吉祥を表わしています
   
料紙の弁柄色も 独特なら、金彩のほどこし方も特徴的なこの軸を見て 「下品だ」と言った人がいますけれども、 同じ言葉でも  鳥の子色の紙を選ぶのか、あるいは、 その言葉の意味に相応しい料紙を選ぶのかに  作者の意図が見えてきます
  
  

子・・・高岡の能作さんのぐい飲み
               威風堂々      ひょっとして銀座住まいか???
 
 
 
 茶花というより生け花ですが   置場所の関係で 今年の花は 万やむを得ず  こうなりました

梅・結び柳・南天・加茂本阿弥・羽衣


 








干支茶碗(庚子)

明けまして おめでとうございます
 
いよいよ 子年の始まりですね

子という字を紐解くと、了 (物事のおわり) と 一 (はじめ) を合体させてあり、輪廻の中枢・中央と意識するべきものなんだそうです
 
『大嘗祭は 子月の中卯日に始まり、日取り、時間 (子刻) 、祭屋 (子方) はすべて「子」を中心に繰り広げられていて、新天皇誕生を「陰」から「陽」への移り変わりのなかで象徴している』  と知ったのは、子年の意味を学習している最中のことでした
 
さて、天皇ならぬ我が身の  陰 (亥) から陽 (子) への変化は 何から着手するべきか・・・着手するべきものとして、パッと 浮かんだのは "終活" なんですが、これでは陰のまま停滞してしまいそうなので、もっと建設的なものを探さねば・・・と思った矢先に " 生があるから死がある     したがって  死の方向に陽がある    物が存在しなければ 破壊はおこらず、つまるところは 生が陰であり 死が陽である" との解説文を発見
これを登山に例えると「苦労を伴いながら頂上を目指す登り道は陰であり、達成感を感じつつ 頂上に留まっている瞬間の存在だけでは成功とはいえず、 無事に下山して初めて 登山は成功・・・したがって 楽~~~な気分で下山してる時が陽である」とのこと ・・・なら "終活" は 陽の道 じゃないですか・・・輪廻の中枢たる子年に 着手するに 相応しい活動 ということになります
 
  
いずれにしても 多くは望まず
一日一日を大切に過ごして、366日目に「あ~ いい年だった!」って言えるように  2020年を過ごしていきたいと思います

お茶の先生の立場から  茶道は 陰陽を 非常に大切と考えている ことを  申し添えて   年頭のご挨拶といたします

皆さまにとって 良い一年でありますように!    
 
 
 
 

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