http://rakuchikai.blog.shinobi.jp/%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A7%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8/%E9%9C%B2%E8%B7%AF%E3%81%AE%E6%B8%85%E6%8E%83弥生の茶事・・・露地の清掃
露地のお掃除
露地の清掃は お天気に左右されます。 茶事の準備の最終段階は 天気予報を見ながら 露地を最優先にして いつ何をするかを 決めていきます。
幸い 茶事前日は晴れ。でも当日は傘マークでした。
「明日のお天気次第では、今こんなに一生懸命掃除をしても、 お客様に使ってもらえないのよ」と言いながら、前日の午前中には 露地の植木の余計な枝を切り落とし、隅々まで掃き清めて 蹲踞の手水鉢や ごろた石の掃除も完了。 そして当日は、午前8時過ぎから外回りの掃除を始めて お客様の到着を待ちました。
でも神様は意地悪ですね。 お客様が到着なさるころを見計らったように雨が降り出し、結局 お客様が露地にお出になることはありませんでした。
露地の掃除と精神性
私が40代のころ しばしば 稽古茶事をしていました。 露地の掃除も懐石の準備も 自分たちの手でしていたのですが、ある時「あそこに行くと 掃除ばっかりさせられる」という陰口が耳に入ってきました。
一般的には 掃除は先生の仕事で、 全ての準備が整えられた稽古場に行って、指示されたとおりの手順で お茶を点てて 飲んで帰る のがお茶のお稽古です。 掃除をさせられる稽古場は 無礼で奇異と感じたのかもしれませんが、それを聞いて 短気をおこした私は「そう言われるぐらいなら、もう二度と掃除は頼まない」と心に決めました・・・「掃除して」と言わなくても その後も 手伝ってくれた人は沢山いますけれどもね・・・
でも今の私は 「掃除は頼まない・・・と決めてしまったのは 若気の至りであった」と後悔しています。
露地は 客と亭主が初めて出会う場所であり、俗世と清浄の地(茶室)とを隔てる結界の役割を果たします。 その地が汚れているのでは 露地が存在する意味がありません。 同時に、隅々まで掃き清めたり、蹲踞のごろた石を洗う などという作業をしながら、亭主は自らの心と向き合い、お客様を迎えるに相応しいところまで 自分自身を浄化させていきます。
スピードと効率を求めるのではなく、単純な作業を淡々とこなしながら、
自分と向き合う時間を持つことは、「お茶」が単なる遊興ではなく、精神の伴った「茶道」になっていくために必要不可欠な時間です。
正客からの労いの言葉
今回の茶事では 生憎の雨でお客様が露地を歩かれることはありませんでした。
でも正客からは「中立の間に 露地の風情は 寄付きから存分に味合わせていただきました。 以前に伺ったときに比べると随分落ち着いた雰囲気になりましたね」という 言葉がかけられました。
この声は亭主と半東に届いたでしょうか。 露地の管理の苦労を知り尽くした 正客からかけられた 労いと感謝の言葉です。
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