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楽知会・・・石光宗眞表千家茶道・茶事教室 (つくば教室・水戸教室)

つくば と 水戸 で表千家のお茶の教室を運営する 楽知会(主宰  石光宗眞)のブログです。 初心者にも、上級者にもご満足いただける本格的な茶道教室を目指しています。 楽知会が取り組む お茶のお稽古や、お茶事関係の情報を掲載していきます。

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茶道の入口は点前   終点は何処???

デルタ株の感染拡大で お稽古をお休みしている間を利用して、 侘茶のこと・茶道の道(ドウ)たる所以などを考えてみたいと思います。   何回かに分けて発信していきますので、 オンライン授業と思って 御一読いただけましたら幸いです。

「紙に書いて提出!」 と お願いしていた宿題の答えが、 ポツリ・・・ポツリ・・・届き始めました。

ダイヤグリーン何故 濃茶のときは 無言でなければいけないのでしょう

ダイヤグリーンお茶をしていて 禅味を感じるのは どのような時ですか

以上の二つが宿題でした。  

 

今まで 提出して下さる方が ほとんどいなかったので、 皆さん スルーすることに決めたのかと思っていましたが、 そうではなくて 真面目に真剣に 考えていたら 思わぬ時間を要してしまった・・・ ということのようです。




学校での学び : お茶での学び

学校で どのような生徒が優秀と評価されるかといえば、 効率よく短時間で 100点 がもらえる答えに到達できる子供です。

不正を働かない限り、 どんなに要領よく短時間で 正解を導き出そうとも、 褒められこそすれ 非難されることはありません。

ところで、お茶は どうでしょうか。 

そもそも満点が取れるお茶の正解が どこにあるか と考えてみると 雲をつかむようなお話です。 

私の理解は、 100点 は通過点に過ぎず、それをはるか超えたところに 理想とするお茶がある というもの。

お茶では、効率も要領も全く求めていません。



それどころか、効率と要領を求めたら、 自分と向き合う時間が失われて お茶が理想とする境地には永遠に到達できない とさえ考えています。 

 

速成させる気がないので、 師匠が言葉を以って一から十まで 稽古人に教えるということもなく、ただ ひたすら 気づき を待ち続けます。 

学校教育とは対極にあるのが お茶の指導法であり 学び方です。  

初心のころ、 間違えずに一服点てられるようになれば 一人前だと思っていました。 

若い方のなかには 複雑な点前をスラスラなさる方が 大勢いらっしゃいます。 

でも、 お茶の世界では ただ点前を覚えただけでは  一人前とは認めてもらえず 「50,60は はなたれ小僧、お茶は70過ぎてから・・・」と申します。

正解を超えた境地に至るために 長い時間をかけて繰り返し繰り返し自分と向き合い続けるのが お茶の学び方で、 そのことに気づいてもらえるよう導くのが お茶の指導法 。

「あの人のような お点前が出来るようになりたい」   

皆さんが 憧れるお点前をなさる方々がいます。 

それは、そこのところに気がついて 自分と向き合う という 終わりのない修練を続けている方々です。

向き合い続けた自分の内面が点前に乗るようになって初めて、説得力のある点前へと変貌を遂げていきます。 

そして 見る者は、それを ある種のオーラと感じとります。

こんなこと、若いころの私は おこがましくて 言葉にすることが出来ませんでした。  でも今言葉にしなければ、生涯言葉にしないまま終わってしまいます。

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無言の意味

お茶は 場面場面によって、話してよい時 悪い時、 一定のルールのようなものがあります。

特に濃茶は 点前中はもちろん、 点てられたお茶を正客が一口飲むまで 一切無言 ・ 静寂の中で緊張感をもって行われます。

これは、開門以来 稽古のときに常々申し上げていることなので、 社中に「エッemoji そうだったのemoji  初めて聞いた目」 とおっしゃる方はいないはずです。  

ところが私の社中では、 これがなかなか定着しません。

よ~~~く 観察してみると、 条件反射的に無言を貫いている人がいます。   

一方 見事に日常的平常心(?)を維持し続け、思いつくことを 思いついたまま 声にだしている人も数名。 

さて、 この意識の差は どこから生じるのでしょうか。


クローバー皆様に宿題クローバー

濃茶のとき 「無言であれ・・・」と求められる理由を考え、 答えを紙に書いて提出




ゆめゆめ 「無言でやらないと お点前 間違えちゃうから・・・」 などと答えないでくださいね・・・そんなに浅い話じゃないんだから・・・「無言の間に どうせよ」ということなのでしょう

近ごろ気になること・・・水屋の使い方

お点前のお稽古は、水屋での準備に始まって 水屋での片付けに終わります。
住宅事情によって、水屋の広さや 水屋棚の大きさは一定ではありませんが、つくば教室の水屋は 常識的な使い方が出来るだけの設備と広さを備えています。

棚の どの位置に何を置くか
*準備や片付けの段階で道具を壊すことのないよう
*贋作を生むことのないよう
*席中に道具を運び出すときに 間違いが起こらないよう
茶道の長い歴史の中で 経験的に考えられた方法があります。
 
*水屋甕の蓋は いつ開けて いつ閉めるのか
*何段目の棚に 何をどのように置くのか
*道具と道具の間隔はどのように確保するのか
*道具の正面はどちらに向けるのか
*箱炭斗の火箸の位置、鐶のかけ方、鐶の切れ目の向きはどうするのか

いつ誰が使っても 一切の乱れが起こらないのが水屋の姿です。 
最後の片付けに至るまで 細心の注意と緊張感をもって ご確認いただきますよう お願いいたします。
 
水屋については 教本にも記載がございますので 是非ご一読ください。

 
コロナ禍でのお稽古では、お茶碗の使い回しを避けるため、沢山のお茶碗を使っています。
最後に湯通しした道具類を 全て水屋棚に置くと、 地震などによる少しの接触で 破損する恐れがあります。 
安全な低い場所で 乾かすように 併せてお願いいたします。


 

弥生の茶事・・・桜川地紋の透き木釜

茶事で使う道具を調べているうちに 亭主が発見したことに  今回使った釜の紋様と謡曲桜川との関係があります。   亭主は 「地紋と謡曲との繋がりの根拠は確認出来ていない」とおっしゃっていますけれども、 時代背景からいっても  紋様からいっても  まず間違いないですよね。 
不勉強な私は、今回亭主に教えてもらうまで  謡曲との関係は考えてもいませんでしたが、「なぜ桜の花のみならず 籠目が鋳込まれているのだろう・・・?」とは思っていました。  これでその疑問も解決。 スッキリしました。 

http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_039.html


お茶は、そこから発展して 書・香・菓子・懐石・和歌 などを学ぶ人が大勢います。  昭和の時代までは謡曲を学ぶ人も沢山いました。  お茶がお茶を学ぶだけで終わってしまうのでは  世界が狭くて勿体ない。

弥生の茶事・・・亭主サイドの人手が足りない

黒字・・・半東の反省
赤字・・・私のコメント

正客から詰まで1服ずつ薄茶を召し上がっていただいた後、東が正客に2服目のお茶を点てましたが、半東が席中にいなかったため、お茶を正客に届けることができず、 正客が自ら取りに来られました。 裏で働くスタッフの人数が少ないと、半東の動きは難しいと思いました。

今回の茶事では 裏を支えるスタッフが半東一人しかいなかったため、八面六臂の大活躍でした。
人間一人で出来ることには限りがあるので、このような場合、席中で行き届かない点があっても致し方ないことです。  一座は主客が協力して建立するものですから、 亭主サイドに出来きらない点があると判断した場合は、客がそこの部分を補います。  特に、詰は客でありながら、正客と亭主サイドを繋ぐ重要な役割を果たす立場なので、 席中で半東がするべき仕事を 代わりに担ってもよかったように思います。

 

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◆表千家教授 
 (表千家同門会
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