忍者ブログ

楽知会・・・石光宗眞表千家茶道・茶事教室 (つくば教室・水戸教室)

つくば と 水戸 で表千家のお茶の教室を運営する 楽知会(主宰  石光宗眞)のブログです。 初心者にも、上級者にもご満足いただける本格的な茶道教室を目指しています。 楽知会が取り組む お茶のお稽古や、お茶事関係の情報を掲載していきます。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

盃事のマナー


お流れ頂戴致します



お稽古で茶事をすると、千鳥の盃を重要視する傾向があります。本音を申しますと、皆様が何故それほど重要と考えるのか、私には理解ができません。今回も大辞泉から「お流れ」の意味を引用しますので、皆様もご一緒にお考えいただけますでしょうか。

 

お流れとは

1、酒席で、貴人や目上の人から盃を受けて、これに注いでもらう酒。古くは、飲み残しの盃を渡され、そのまま飲んだ。

2、目上の人からもらう、使い古しの品や不用品。おさがり。おすべり。

(以上、大辞泉より)

 





盃事の作法の発生は古く、平安時代には既に一定の型が出来上がっていました。それは、同じ盃で回し飲みを行い、主賓と連客が共通の恩恵にあずかるとともに、参加者全員の連帯感を強めるという目的があるものでした。時代とともに、武家社会なら殿から家来に、会社組織なら上司から部下に、その他は長幼の序に従って、と変わってきましたが、盃が上から下に流れていくことに変化はありません。

 

茶事における千鳥では、まず亭主が正客に献杯(敬意を表すために盃を捧げること)をします。そして、亭主が正客にお流れ(盃)を乞う(求める・要求する)と、次客がお酌係となって亭主にお酒をついでいます。昔の宴席では、主賓が席を移動して下の者たちにお酒を注いでまわることはなく、「お酌係」を手配していたようなので、それが茶席に相応しく形を変えて千鳥になったと考えられます。

盃は上から下に流れてくると申しましても、自ら進んで上の方に盃を要求しているのですから、上から差し出された盃にお酒が注がれるその瞬間に「飲めませんから」と辞退するのは、大変な無礼にあたります。

 

ところがところが、千鳥が始まると大方が「お酒は結構ですから形だけ」とおっしゃいます。言葉を変えると「飲むための盃はほしいけれども、飲まない」と訳の分からない発言をしているのです。

本質から離れて、興味の中心が盃とお銚子の動きにのみ集中しているのは、とても残念なことです。
特にお稽古では、どなたにでも飲んでいただけるように、お銚子の中身をウーロン茶にしています。にもかかわらず、飲むことを辞退する人が続出する現状に、「飲まぬなら、千鳥などやらねばよろしかろうと思ってしまいます。

 

このようなところでも、本当のお茶事で通用するように、意味と心を重視したお稽古をしていきたいですし、それを心掛けていただきたいと思います。


千鳥がなければお茶事でない・・・と考える人がいます。が、決してそのようなことはありません。盃事のマナーは豪快に飲む男性社会の饗宴に端を発しています。

今の時代に本当にスマートなのは
1、飲んでよい環境か(車を運転する人は無理ですね)
2、正客や亭主は飲める体質か
等々の状況判断であり、決して形に囚われないことです。形だけの応酬は単なるオママゴトになってしまいますから、その場その場に相応しい盃の遣り取りの方法を見つけ出してほしいと思います。

勿論、上戸が集まった席ならば、大いにやって下さい。八寸盆にのった酒の肴だけでは足りませんでしょうから、酒盗などもご用意致します。
 
 
   
   
   

 

 

下戸の盃事

 

夫の従兄に京都在住の今日庵業躰がおります。一滴もお酒を受け付けない体質です。20年以上も前に「お茶事で困ることもおありでしょう?」と聞いてみたところ「タオルを用意していくから、それで何とか。」というお返事でした。意味がわからず「ハ~」と言っただけで、その場は終わってしまいました。

 

ところが、その謎がつい最近解けたのです。


頂いたお酒は口の中に残しておき、口の周りをふく真似をしながら、さり気なくタオルに出してしまうのだそうです。

 盃事の意味がわかった下戸は、ここまでやっている・・・という一例をご紹介しました。

しかし、それとても、お客が3人程度のお茶事なら可能ですが、10人以上も詰め込むお茶事もどきで出来ることではありません。



ここで、剛先生のお言葉を    
「千鳥・・・? やりたければやってもいいよ。但し、飲めるんなら。」
PR

お相伴いたします

お茶会にせよお茶事にせよ「相伴」という言葉をよく耳にします。初心者が一番最初にこの言葉に出会うのは、薄茶のいただき方を教わる時でしょう。  「まず薄茶がだされたら、上座に座っている人に `お相伴いたします´といい、次に下座に座っている人に`お先に´と挨拶をします。」 どなたもが先生からこのように教えられたと思います。ですが多くの方は、お相伴という言葉を聞いた途端にお顔の中に`´が点灯します。声にはなりませんけれども、表情は明らかに「なにそれ?」と語っています。
 
 
 
相伴とは

①従いともなうこと。
②主人を助けて正客の相手をし、ともに接待を受けること、人。
③他人のそばにいるために利益をうけること。
(①~③ 角川国語辞典より)

④連れだっていくこと。またその連れの人
⑤饗応の座に正客の連れとして同席し、もてなしを受けること。または、人の相手をつとめて一緒に飲み食いをすること。また、その人
⑥他とのつり合いや行きがかりで利益をうけること。また、他の人の行動に付き合うこと
(④~⑥ 小学館 大辞泉より)
 

これでご理解いただけますでしょうか。

大寄せのお茶会など不特定多数の方が集まる席では「共にご馳走になりましょう」という程度の軽い意味であるかもしれません。しかしながら、お茶事においては、正客と相伴客の立場を明確にする大切な言葉です。

時に連客がムードメーカーとなって茶席の雰囲気をリードし、正客が大人しく遠慮がちに座っていらっしゃることがありますが、これなどは努々あってはならぬこと。何故自分を相伴客に選んで下さったのかに心して正客の相手をつとめ、一緒にお茶をご馳走になる。 お正客があればこそ、共に接待をうけられることに感謝して、心から発する「お相伴いたします」であって欲しいと思います。




ついでに学んでおきましょう

 相伴衆・・・正客に伴われて複数の連客が茶事に参会する時、その客のことを相伴衆とよぶこともあります。が、古くは室町時代に将軍の相伴役として宴席などに伺候した人たちを相伴衆と呼んでいました。謂ば選ばれた人々です。

相伴席・・・茶事において、次客から末客までが座る場所を相伴席といいます。
古田織部好みと伝えられる藪内家の燕庵(エンナン)は、3畳の客座の脇に相伴席が付設されていて、客座と相伴席は2枚の襖で仕切られています。この形式は武家社会において受け入れられやすい造りだったようです。
また、水戸出身で「大正名器鑑」の編集と刊行に力を注いだ高橋箒庵が好んだ茶室`箒庵’(護国寺)も3畳の客座の背後に1畳の板敷きの相伴席があります。これも境には障子を入れて客座と相伴席を隔てるつくりとなっています。


emoji以上は、2007年6月に一度当ブログにアップした物に、少々修正を加えた文章です。

実は7年以上も前から、例えお稽古であっても、正客と連客の立場が曖昧模糊としていることが気になって気になって仕方なかったのです。

去る11/9の研究会で、澤井先生が正客と次客以下の歴然とした差を指摘なさいました。
聞いていた方の中には「いったい何言い出したんだ? 正客と次客にそれほどの差があるはずないだろう。」というお顔をなさった方もいらっしゃいました。

そのような方には、もう一つ考えていただきたいことがあります。濃茶が終わって、仕舞にかかるとき、亭主が発する「お仕舞いにいたします」という声に、何故正客だけが応えるのでしょう。
粗茶(濃茶)一服差し上げるためのお茶事において、亭主が本当の意味でお茶を差し上げる相手が誰であるかは、これによって特定されるのではないでしょうか。

外と中の因果関係

お札もお菓子も同じ
 
 お干菓子のなかには、綺麗な和紙で個別に包装された物が沢山あります。  包装紙の表の直ぐ下にお菓子の表(上部)があって、お菓子の裏(底)のそのまた下で、紙は糊付けされ、閉じられています。

 お干菓子の盛り付けをお願いすると、 裏表逆になっていることがよくあります。

「逆・・・?」 と言うと 「ワーemoji  見えなかったemoji」 とのお返事。

外側(包装紙)の表 と 中身(お菓子)の表が重なっていることさえ知っていれば、これは言い訳になりません。

    
 
 
 
 
熨斗袋も月謝袋も同じ
 
 お札の向きと袋の向きにご留意いただくこと、シワのない綺麗なお札をご用意いただくこと、などは熨斗袋も月謝袋も同じです。

シワがあろうとなかろうと、向きがどうであろうと、価値に変わりがあるでなし

     ただそこにあるものは、こだわり、配慮、そして礼儀

手掛かり

「手掛かり」を開けておきましょう・・・・?

 昔の日本家屋では「引き戸」あるいは「引き違い戸」が多く用いられていました。これは襖や障子など敷居と鴨居の溝にはめて左右に開け閉めする戸のことで、ちょうつがいを使って開閉する戸は「開き戸」と呼ばれています。最近建築された建物にお住まいの方のなかには「いくら探しても開き戸ばかりで引き戸は一つも見あたらない」とおっしゃる方がおありではないかと思いますが、お茶は引き戸が主流であった時代に考え出されたものです。従ってその特性が作法の中に上手にいかされています。一例をご紹介致しましょう。

 亭主はお客様をお迎えする準備が整うと、玄関の戸を1寸(3センチ)ほど開けます。こうして意図的に作られた隙間のことを「手掛かり」と呼び、これを頼りに客は茶室へと導かれていくのです。つまり、戸がピタリと閉ざされている場合は「進入禁止」の合図であり、手掛かりが開いている場合は「どうぞこちらへお進み下さい」と手招きされていることになるのです。
客は1寸開いているところを見つけるとそこを開けて中へと入り、そこでまた1寸開いているところを見つけるとその次の部屋へと進みます。このようにして右も左もわからない初めて招かれた家であっても、また案内の人が一人も姿を現さなくても、目的のところまで優しく誘導されていきます。

 先日「12時席入り」というご案内をいただいてある方の御茶事に招かれました。お茶の世界ではご案内の30分ほど前には先方に着いて、足袋をはきかえるなどの身支度を整え、心を落ち着けて席入りに備えることになっています。私と連れ2名もおよそ30分前には門前に到着致しました。玄関から門の前まではほどよく打ち水がされ、客を迎える準備が首尾よく整っているかに見えます。ところが玄関の戸はピッタリ閉まり5分(1.5センチ)の隙間もありません。「まだなのね」と連れに目で合図を送り、しばし外で待つことにいたしました。

 待つ場所は・・・といえば、先方からは直接見えないけれどもこちらからはある程度気配を感じられる所です。

それはそうですよ・・・だって、御亭主は私たちのために何ヶ月も前から道具組を考え、お茶だ、お菓子だと走り回って下さっている上に、ここ数日は、はいつくばってお掃除に時間を割いて下さったに相違ないのですから・・・門の前に突っ立て、手掛かりが開くと同時にドヤドヤ押し入るというような無礼なまねは致しません。

そんなことをしようものなら・・・何も言わなくたって・・・「アンタ今まで何やってたのよ・・・ちょっと遅いんじゃないの・・・?私たちさっきから待ってんだから・・・」ということになってしまいます。
 
 私たちも最初は路地の角をまがった所に日陰をみつけて、そこで余裕をもって待っていました。ところが、5分たっても10分たっても玄関の戸は閉ざされたまま。何度か門の前を行きつ戻りつして様子を窺ってみましたが、ひっそりと静まりかえって物音一つ聞こえません。だんだん心配になってきました。

「巧者といわれる今日のご亭主に限ってまさか手掛かりを忘れるということがあるのかしら」「イヤイヤ、もしかすると半東さんが不慣れなのかも・・・ご亭主は半東さんがすでに開けてくれたと信じ込んでいるのかもしれない」等々協議することしばし。

さらにそれから5分以上待ったところで意を決して玄関の戸をガラガラッと開けました。

 イヤーァ  その時のビックリしたことと言ったら・・・だって、ワタシの鼻の1センチ向こうにはご亭主の鼻と大きく見開いた目があったのですから。
まさにその時、ご亭主も手掛かりを開けに出てきて下さったところだったのですね。

今まで豆鉄砲をくらった鳩の顔というのを見たことはありません。見なくったってそれがどんな顔なのか よくよく分かるようになったのはその時のことです。

  これはどちらの失敗だったのでしょう。私たちがもう少し気長に待っていればよかったのか、それともご亭主がもう少し早く手掛かりを開けて下さればよかったのか。またしても「客の失敗は亭主の失敗。亭主の失敗は客の失敗。」という言葉を思いおこしてしまいました。

 さてお稽古の時、稽古場の玄関はどのようになっているのでしょうか。もちろん私は準備が整うと玄関の戸を1寸開けております。当社中は予約制でお稽古をさせていただいておりますから、予定されている方々が全員お揃いになるまでは手掛かり分開けられた状態に保たれていることを望んでおります。そして、最後の方が到着なさった時にピタリと閉められることも。但し、格別に風雨の強い日はその限りではありません。何事にも例外のないことはございません。皆様が臨機応変に対応して下さるものと期待しております。

留め石

留め石
 

  露地(茶庭)を歩いていると、このようにわらび縄を結んだ大きな石が飛び石の上に置いてあることがあります。「留め石」といって、「ここより先へはいらっしゃらないで下さい」という意味の重要な案内標識です。露地には「関係者以外の立ち入りを禁じます」と書かれた無粋な立て札はありません。けれども、この石を見たら「そこより先への進入は禁じられているんだな」と理解していただきたいのです。
 
 これもあるお茶事でのお話です。どうもお客様が留め石の何たるかをご存じなかったらしく、ご亭主が置いた石をまたいで突き進み、正客以下お詰さんまでもが母鳥の後を追いかけるヒヨコよろしく、茶室の周りをグルグルグルグル回遊してしまったと伺いました。ご亭主は予期せぬ事態に冷や汗ものだったそうです。

 お客様にお通りいただく表舞台は、いかにも風情豊かに清浄に整えられていますが、表があれば必ず裏もあるものです。打ち水をするためのバケツや如雨露、露地を掃くほうきやちりとり、果ては朝集めた落ち葉の山等々、ご亭主にとっては見られたくない部分も沢山あります。それに「ここから先は滑りやすくて危険だから、お客様の身の安全のために進入禁止にしておこう」と思うことだってあるのです。

  「めったに来ないお茶室ですもの。興味津々。勉強と思ってあっちもこっちも見てやろう・・・」などとは思わず、「お客様方、留め石の向こうへはどうぞくれぐれもいらっしゃいませんように」

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

フリーエリア

最新CM

[03/04 深大寺のそばから]
[02/28 お茶女]
[02/22 大和国より]

最新TB

プロフィール

HN:
石光 宗眞
性別:
非公開
自己紹介:
◆表千家教授 
 (表千家同門会
    東京都連合支部)

バーコード

ブログ内検索

カウンター

カウンター