つくば と 水戸 で表千家のお茶の教室を運営する 楽知会(主宰 石光宗眞)のブログです。 初心者にも、上級者にもご満足いただける本格的な茶道教室を目指しています。 楽知会が取り組む お茶のお稽古や、お茶事関係の情報を掲載していきます。
お流れ頂戴致します
お稽古で茶事をすると、千鳥の盃を重要視する傾向があります。本音を申しますと、皆様が何故それほど重要と考えるのか、私には理解ができません。今回も大辞泉から「お流れ」の意味を引用しますので、皆様もご一緒にお考えいただけますでしょうか。
お流れとは
1、酒席で、貴人や目上の人から盃を受けて、これに注いでもらう酒。古くは、飲み残しの盃を渡され、そのまま飲んだ。
2、目上の人からもらう、使い古しの品や不用品。おさがり。おすべり。
(以上、大辞泉より)
盃事の作法の発生は古く、平安時代には既に一定の型が出来上がっていました。それは、同じ盃で回し飲みを行い、主賓と連客が共通の恩恵にあずかるとともに、参加者全員の連帯感を強めるという目的があるものでした。時代とともに、武家社会なら殿から家来に、会社組織なら上司から部下に、その他は長幼の序に従って、と変わってきましたが、盃が上から下に流れていくことに変化はありません。
茶事における千鳥では、まず亭主が正客に献杯(敬意を表すために盃を捧げること)をします。そして、亭主が正客にお流れ(盃)を乞う(求める・要求する)と、次客がお酌係となって亭主にお酒をついでいます。昔の宴席では、主賓が席を移動して下の者たちにお酒を注いでまわることはなく、「お酌係」を手配していたようなので、それが茶席に相応しく形を変えて千鳥になったと考えられます。
盃は上から下に流れてくると申しましても、自ら進んで上の方に盃を要求しているのですから、上から差し出された盃にお酒が注がれるその瞬間に「飲めませんから」と辞退するのは、大変な無礼にあたります。
ところがところが、千鳥が始まると大方が「お酒は結構ですから形だけ」とおっしゃいます。言葉を変えると「飲むための盃はほしいけれども、飲まない」と訳の分からない発言をしているのです。
本質から離れて、興味の中心が盃とお銚子の動きにのみ集中しているのは、とても残念なことです。
特にお稽古では、どなたにでも飲んでいただけるように、お銚子の中身をウーロン茶にしています。にもかかわらず、飲むことを辞退する人が続出する現状に、「飲まぬなら、千鳥などやらねばよろしかろう」と思ってしまいます。
このようなところでも、本当のお茶事で通用するように、意味と心を重視したお稽古をしていきたいですし、それを心掛けていただきたいと思います。
千鳥がなければお茶事でない・・・と考える人がいます。が、決してそのようなことはありません。盃事のマナーは豪快に飲む男性社会の饗宴に端を発しています。
今の時代に本当にスマートなのは
1、飲んでよい環境か(車を運転する人は無理ですね)
2、正客や亭主は飲める体質か
等々の状況判断であり、決して形に囚われないことです。形だけの応酬は単なるオママゴトになってしまいますから、その場その場に相応しい盃の遣り取りの方法を見つけ出してほしいと思います。
勿論、上戸が集まった席ならば、大いにやって下さい。八寸盆にのった酒の肴だけでは足りませんでしょうから、酒盗などもご用意致します。
夫の従兄に京都在住の今日庵業躰がおります。一滴もお酒を受け付けない体質です。20年以上も前に「お茶事で困ることもおありでしょう?」と聞いてみたところ「タオルを用意していくから、それで何とか。」というお返事でした。意味がわからず「ハ~」と言っただけで、その場は終わってしまいました。
ところが、その謎がつい最近解けたのです。
頂いたお酒は口の中に残しておき、口の周りをふく真似をしながら、さり気なくタオルに出してしまうのだそうです。
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
最新TB
プロフィール
ブログ内検索
最古記事
カウンター
カウンター