つくば と 水戸 で表千家のお茶の教室を運営する 楽知会(主宰 石光宗眞)のブログです。 初心者にも、上級者にもご満足いただける本格的な茶道教室を目指しています。 楽知会が取り組む お茶のお稽古や、お茶事関係の情報を掲載していきます。
引導
朝茶当日の大失敗は、煮物の用意をすっかり忘れてしまったことでした。 茶人が懐石の中で最も力を入れるのは煮物と云われていますから、前日までに食材の調達や下ごしらえは全て終わっていて、夫を実験台にした盛り付けの確認や試食も済ませ、準備は万全のはずでした。 にもかかわらず、煮物の全てが脳から消し去られてしまった理由が 我ながら解せません。
最初は慣れが呼ぶ油断だと思って 大いに反省しました。
翌日、千代の富士が亡くなりました。 大横綱を偲ぶ報道の中で「千代の富士が勝って 大関貴ノ花を引退に追い込み、その後 奇しくもその息子 貴花田に敗れて 引退の引導を渡された。」と再三語られていました。
「引導かー!」それを聞いて「昨日の失敗は慣れが呼ぶ油断ではないかもしれない」とフッと思いました。 というのは、出来なかったことが もう一つあるのです。それは8÷2の計算。
当初の予定では、お客様8人を相手に亭主一人が八寸をすることになっていました。ところが、「千鳥まで一人ですると 時間が掛かり過ぎるかもしれない。」ということになり、急遽 亭主と半東が半分ずつを受け持つことにしたのです。 つまり、8人分を一つの八寸盆で済ませるはずが、二つの八寸盆を使うことに・・・そこで どうしても必要になったのが8÷2の計算でした。
八寸盆には、海の物、山の物をそれぞれ
お客様の人数分 + 亭主 又は 半東の分 + アルファ
を盛り付けます。
ということは、一つの八寸盆に それぞれ6~7個以上の海の幸と山の幸があれば良いことになるのですが、実際に盛り付けたのは、海の物が5個と 山の物がアンバランスに多数。
いくつ盛り付ければ良いのやら 分からなくなっていたのです。
途中で「何やってんじゃい?」と気付くには気づきましたが、時すでにおそし。 亭主も半東も八寸盆とお銚子を持って席に出ていった後でした。
茶事の準備はザックリ考えている期間も含めれば、数年前から始まります。
いらしていただきたいお客様のお顔を思い浮かべながら趣向を考え、それを具現化する道具を選び、懐石の献立やお茶やお菓子を決め・・・このように頭をグルグル回転させるだけで出来上がってしまう構想は比較的早く練りあがりますけれども、茶事に向けて身体の動きが活発化してくるのは1~2か月前から。 そして 食材やお菓子の発注、買い出し、懐石道具、点前の道具、水屋道具、蹲踞まわりの道具、露地草履、円座、毛氈などの出し入れ、掃除、調理、等々、やらなければならないことが一挙に押し寄せて 寝る間も惜しんで動き回るのは、ラストの1週間です。
稽古茶事といっても、直前の1週間が超多忙になるのは 何ら変わりはありません。
年齢と共に体力が低下してきていることは自覚していますから 今回の私は裏方に徹するつもりで 亭主役は社中の人にお願いしていましたし、十分な余裕をもって準備してきたつもりでした。
それなのに、この体たらく
それは 朝茶前日に1時間弱の仮眠しかとれなかったことが災いしたものと思われます。 当日は 目もあいていたし、きちんと立ってもいましたが、脳細胞だけは完全な睡眠状態に陥っていたのでしょう。
40代の頃「お茶なら48時間やり続けても大丈夫」と豪語していました。 55才を過ぎてからも、仮に2~3時間しか眠れない日が1週間、10日と続いたとしても 茶事当日は緊張感で乗り切ることが出来ました。 でも、もはや無理。
無功徳
ましてや、このようなことをクドクド言っていたら、達磨大師に叱られてしまいます。
客の心得・・・ウカウカしてはいられませんぞー
お茶での約束は 親と我が身の命に別状ない限り
必ず守りなさい
これは、茶事に初めて参加する初心者に先生が伝える言葉です。
飲み食いしながら亭主の働きを見ているだけなら
料理屋か劇場に行け!
茶事を催した経験のないお客さんは招きたくない。
亭主の想いも苦労も察することが出来ないから。
この二つは、しばしば茶事を催す友人の言葉です。
「亭主7分に客3分」という言葉があります。 亭主と客が茶事を楽しむ度合いを言葉で表現すると、亭主の楽しみが客のそれを遥かに凌駕していることを表しています。 過程を楽しみながら準備を続けて茶事当日を迎えた亭主が、お客様から感謝されたり褒められたりすることを望んでいるとしたら、それは心得違いというものです。
達磨大師がおっしゃるとおり すべては「無功徳!」
でもお招きを受けた側は、「やりたくてやっているのだから
やらせておけば良い」では済まされません。
一度「行く」と約束したら
何はさて置き必ず行こうという気持ちを持つこと
亭主と共に一座を建立する自覚をもつこと
率直な感想を後礼で述べること
この三つが、お客様一人一人のお顔を思い浮かべながら準備に励んだ亭主への 礼でもあり情けでもあります。
露地とは
茶事における露地は、日常の喧騒から非日常の世界に お客様を誘う結界の役割を果たします。
その露地を如何に整えるか・・・これは 亭主の大きな関心事です。 また、お客様には 日常の汚れをはらい 清浄な地に向かう通過点であると心得て 通っていただけたら幸いです。
ところがところが、社中の皆さんが露地を渡る姿を見ていると、飛び石から足を踏み外すことを恐れてか 視線は常に足元。
足早に歩みを進めて蹲踞に行き着くや 素早く手と口を清めて これまたサッサと足早に茶室へと向かっていきます。
はてさて この通い方は正解か・・・?
露地の準備
さて、露地はどのように整えるのでしょう。今年の稽古茶事(朝茶)に向けての準備をご紹介します。
茶事の前、一番の大仕事は茶室内外の掃除です。 中でも露地の掃除は、雨が降っても、日照りが続いても、雪が降っても、風が吹いても、瞬時に景色が一変してしまいますから、どの時点で何をするべきか もっとも気を使うところです。
今夏は蜘蛛の巣との戦いでした。
我が家は恰好の住みかなのでしょうか、毎年梅雨明けが近くなると 柘植の生垣に蜘蛛がいくつもの宿営地を築きます。 お世辞にも見栄えが良いとはいえませんので、茶事3日前には殺虫剤を散布して、蜘蛛には黄泉の国に旅立ってもらいました。
その後 幾つもの巣を箒で払い落として痕跡を消し去ったことは申すまでもありません。
前日は 夕刻5時頃から露地の隅々まで1時間余りをかけて水撒きをしました。しっかりと露が打たれた露地は 通っていて とても清々しく感じられるものですが、 夏は打てども打てども すぐに蒸発し、さらに具合の悪いことに 瞬く間に全体が白く干からびてしまいます。 したがって、前日の夕刻にどの程度の水を撒いておくかが、翌朝の露地の姿を決定づけることになるのです。
三露
茶事では、お客様の席入、中立、退出に備えて、三度水を打って露地を清めます。 これを三露といいます。
席入り前の水打ちは、お客様が寄付きに集い白湯を召し上がっているころ、中立前は お菓子を召し上がっている頃、そして退出前は 道具の拝見をなさっている頃を見計らっています。
苔が輝き、木の葉に露が宿り、灯篭や庭石までもが黒く艶やかに光る露地にお客様を誘うことが出来たら、その日の水撒きは成功と申せましょう。
今年の朝茶は、スタッフの人数が極端に少ないなか 席入り前の水撒きは、袴を身に着ける直前の亭主が行いました。 盛夏に涼を呼ぶ水撒きは、飛び石や地面に水を打つばかりでなく、ホースを上に向けて木々の葉にも露が残るような撒き方を心がけます。 草木が濡れて輝き、キラキラ光る無数の玉の雫を溜めていたことに お気づきでしたでしょうか。
(簡単そうな水撒きですが、季節に応じて その方法は変えています。 例えば酷寒のころならば 凍結してお客様の足元が滑ることがないような配慮をしますし、飛び石にたまった水は雑巾で拭き取るといったこともいたします)
露地の渡り方
日常の汚れを落として 非日常の世界へ移行するための露地を 亭主がこのように準備を重ねていると知ったお客様なら、 ただ足早に通り過ぎればよい場所ではないと感じ取っていただけると思います。 ゆっくり一歩一歩踏みしめながら 何を心に留め、どのように気持ちを整えて茶室に向かえばよいのか、もう一度考えてみて下さい。
但し、連客は正客のことを第一に考えて、お待たせしないこと、暑さ寒さの厳しい折は 外気が茶室内に流れ込むことにも考慮して 躙り口が開いている時間を最小限にとどめるなどの配慮も求められます。 ササッと動きながらも 見るべき物は見、心に留めおく物は留める・・・これぞ連客の極意
以前あった本当の話
晴天のある日 茶事が終わって露地に降り立ったお客様が
「わーッ! 雨 降ったのー? 気付かなかったわねェー!」
送り出しに向かった私の耳に届いたこの声に 思わずニーッと苦笑いを禁じ得なかったことがあります。
うちの社中の方々に限って まさかそんなことはないと思いますが、ユメユメ そのような無神経な大声を発することがないように!!!
最後の最後に亭主の力が抜けて フラフラしてしまいますから。
露地は やっぱり難しい
稽古茶事とはいえ、今夏もこのような準備をしたのは事実です。
でも、自然相手の準備ほど難しいものはありません。
お客様の席入り後、手水鉢の水を足しに行った私の目に飛び込んだものは、アセビに薄く張られた蜘蛛の巣と 蹲踞近くの木々に発生したスス病。
気を付けていても 終始監視していることは出来ませんから 防ぎきれるものではありません。スタッフの人数が少ない時は尚更です。
加えて、若いころなら いち早く発見できた小さな変化に、目が弱くなった今の私は気付けないのかもしれません。だって、陽が傾きだしてから整えた前日の露地では スス病に全く気付きませんでしたし、茶事当日、朝日を受けた繊細な蜘蛛の糸も ほんのチョッピリ角度を変えた位置から見るだけで姿を消してしまい、 そこには汚れのない清浄な地が広がっていたのですから。
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