つくば と 水戸 で表千家のお茶の教室を運営する 楽知会(主宰 石光宗眞)のブログです。 初心者にも、上級者にもご満足いただける本格的な茶道教室を目指しています。 楽知会が取り組む お茶のお稽古や、お茶事関係の情報を掲載していきます。
明けまして おめでとうございます。 皆様 穏やかな良い新年をお迎えになられましたこととお慶び申し上げます。 今年も昨年同様 どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今週土曜日(1月14日)は初釜です。 雪の少ない当地でも この時期の初釜は雪としばしば重なります。 綿帽子をかぶり 白くお化粧をほどこされた 露地の風情は、 眺めているだけなら 清々しく心和むものですが、 遠路お越しいただく皆様の道中を考えると、 一週間以上も前からお天気が気がかりで気がかりで。 天気予報のマークと
マークを一喜一憂しながら注視することになります。 幸い 今年は寒さが厳しいながらも
のようでホッとしております。 露地には湯桶なども用意して、少しでもあたたかく皆様をお迎えしたいと考えているところです。
ところで、湯桶の使い方をご存じですか?
酷寒の時期には 蹲踞の右側の役石に湯桶が用意されます。 お客様は手水鉢の冷たい水でまず手を清め、そして、湯桶のお湯で口を清めます。 これは「冷たい水で口を清めたのでは歯にしみてつらかろう」という亭主の配慮で用意される物です。
湯桶の蓋は割り蓋になっていますから、お客様は手を清めた後に自分に近い方の蓋を開け、それを持ち手の反対側に立て掛けるようにして置きます。 次いで、蹲柄杓でお湯を適量掬い、そのお湯を左手に受けて口を清めます。 お客様の人数が少ない時は、お湯が冷めないように、一人一人が蓋を開けたり閉めたりするようですが、お客様の人数が多い時は 茶室に極力冷気が流れ込まないよう 躙り口が開いている時間を最小限にし、同時に席入りにかける時間を短縮しようという配慮から、 正客が開けた湯桶の蓋は詰が使うまで開けたままにしておきます。 その場合、詰が湯桶の蓋を閉めてから席入りすることになります。
用意する亭主サイドから考えますと、熱すぎればお正客が火傷をしかねませんし、ぬるければ 詰が使う頃には水になってしまいますから、お客様を露地に御案内する直前まで お湯の温度管理には気を使います。 今年は、適温のお湯を用意できればよろしいのですが・・・
因みに、全てに厳しさを好んだ利休さまは 湯桶そのものの存在を「ぬるい」とおっしゃって嫌われたと聞いています。
お茶とミサ
「各服点てであった濃茶を一碗から飲み回すようにした最初の人物は、利休である。」と伝えられています。いつから何故そうなったのかを示す記録は存在しないそうですから、後世の人々の様々な推測がもっともらしく語られています。
中でも、イエズス会の神父で上智大学の教授をも務めたピーター ミルワード氏の、キリスト教のミサが影響を与えたのではないか・・・という説には、茶道の閉塞感に息苦しさを感じていた多くの愛好家が小躍りして飛びつきました。
「茶道は日本固有の伝統文化であるから、赫々云々であらねばならぬ」といわれ続け、禅宗との深い絆から、使われる軸は大徳寺さんか家元系と千家の相場は決まっています。ところが、原点に近いころからヨーロッパの影響を受けていた・・・と云うのですから、歓迎されないはずはありません。利休が生きた堺という自由な土地柄、時代背景、取り巻く多くのキリシタンたち、どれをとってもその可能性を明確に否定できるものは見当たらないでしょう。
ミサでは、信者がキリストの肉を象徴するホスチアを食べ、血を表す葡萄酒をカリスから飲む聖体拝領が重要な意味をもちます。これはキリストの最後の晩餐に由来するとされ、ミルワード氏が初めてお茶の作法に接したとき、その儀式の影響を垣間見たと云うのです。
私もミサが茶道の作法に影響を与えたことは否定できないと考えています。しかし、飲み回すという行為そのものを、キリストの最後の晩餐にまで結び付けて考えるのは如何なものでしょうか。むしろ、茶道研究者の間で一般に受け入れられているのは、日本に古くから存在する盃事のマナー「お流れ頂戴」の延長線上にあるという説です。
濃茶の飲み回し と お流れ頂戴
先にも述べましたが、「お流れ」とは「酒席で連客が正客の盃の残りを飲むこと」であり、「相伴」とは「正客のお供をすることで、連客が正客と同様の饗応を受けること」です。濃茶は本来、正客のために点てられるべきものですが、「相伴客がお流れを頂戴する」という盃事の形式がそこに入り込むことで、今のように相席する全員が一碗を飲み回す作法が出来上がったと考えられています。
濃茶には、飲み回しの最中に「お先礼」と「送り礼」という二つの重要な礼があります。この意味を考えてみますと、「お先礼」は先に飲む人が後から飲む人に「お先に頂戴いたしますが、お許しください。」という気持ちを込めており、飲み終わった人が、これから飲む人にする「送り礼」は「お先に御馳走になりました。残り物で失礼でございますが、どうぞお召し上がり下さい。」という意味です。そして、それを受けて下座の者が返す礼は「とんでもございません。お福分けをいただけて光栄でございます。」と捉えるのが妥当でしょう。
心のなかのお茶とミサ
高校生のころ私は、Londonにあるローマ・カトリック系のMarymount International Schoolに在籍していました。生徒たちの大半は、外交官や大企業の駐在員、あるいはアラブの王族の娘たちで、文字通り世界各国から集まってきていました。地球規模でみれば大勢力でありながら、ご存じのとおり英国国教会が優勢であるイギリスにおいては、カトリックは片身の狭い非主流派です。押しつけられていると感じたことは決してありませんでしたが、その特殊な環境下で生徒たちにカトリックの神髄を見せようとする学校の熱意は、そこここに感じられました。ミサは伝統に則った形式で厳粛に行われており、極めて日本人的な宗教観をもった私も、そこに参列している時ばかりは、敬虔なクリスチャンのような気になったものです。思い起こせば、ラテン語は必修でした。
教会の現代化(アジョルナメント)を目指した第2バチカン公会議において、それまで煩雑であったミサの形式が簡略化された結果、カリスからの葡萄酒の飲み回しなどは今ではほとんど見られませんし、ミサでラテン語が使われることもなくなりました。それでも1980年ごろまでは古い形式が残っており、その形式こそが茶道の作法に近いといわれています。在学していたのが1970年代前半であったことを考えれば、学校のチャペルで行われたミサでは当然それに接していたはずですが、当時の私はまだ茶道と出合っておらず、残念ながら点前とミサの類似点を細部で重ね合わせることができません。
ただ、司祭の呼吸や安定した所作がもたらす魂の鎮まりは、濃茶点前の最中に感じるそれと非常によく似ています。
お茶は日本の入口
昨年、40年ぶりで母校を訪れました。時間が止まったかのごとく、周辺の風景は少しも変っていないのに、校門だけがかたく閉ざされていました。在学当時は、大きな枝折り戸を思わせる貧相な門が、風にユラユラ揺れながら、学校の敷地と道路の境目を告げているだけでした。この変化は、テロなどの物騒な事件から生徒を守ろうとする学校側の意思表示でしょうか。
語る言葉をもっても語る内容をもたなければ、世界で通用する人間にはなれない。国際人であることを望むなら、まずは日本人としてのアイデンティティーを確立しなければ・・・と15才の私が真剣に考えた場所です。それが、豊かな日本が凝縮するお茶を学ぶきっかけとなりました。ここでいう豊かな日本とは、文化的成熟度が極めて高いという意味です。
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